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「焼酎ブーム」って一体なんだったの?日本中に焼酎が広がったムーブメントの舞台裏と白岳が急成長した軌跡を“本格焼酎&泡盛の日”に眺めていく

本日11月1日は、年に一度の「本格焼酎&泡盛の日」

白岳しろが誕生した1980年代に制定された記念日で、九州の地酒という立ち位置だった焼酎が日本全国に広がっていく一つの原動力となりました。

さて、そんな記念すべき日に取り上げるテーマが焼酎ブームです。

一般的にはあまり知られていませんが、焼酎はこれまで3度にわたる大きなブームを経験しました。1970年代から2000年代にかけて、焼酎業界全体が時代の追い風を受けながら成長を続けた一大ムーブメントです。

もちろん当社も例外ではなく、その先頭を走りながら米焼酎の市場を日本中へと広げていったのがこの時期だったんですね。

では、こうした焼酎ブームはどのようにして起こったのでしょうか。

その歴史を丁寧に紐解いていくと、社会や消費者の変化に合わせて美味しいお酒を造ろうとしてきた蔵元たちの努力によって、小さなうねりが大きな盛り上がりへと発展していった光景が浮かんできます。

元々は九州地方だけで楽しまれてきた焼酎が、日本中で愛されるお酒へと成長していった壮大なストーリー。

今回はそうした物語の舞台裏に迫りながら、そのブームの中で白岳の米焼酎がどのように急成長を遂げたのかを見ていきましょう。

第1次ブーム:「ロクヨンの衝撃」

まず初めに紹介するのが、第一次焼酎ブーム(1970年代~1980年代前半)。その火付け役となったのは、伝統的なお湯割りでした。

大手芋焼酎メーカーが全国に向けて発信した「6×4(ロクヨン)」というキャッチフレーズとともに、地元・九州で親しまれてきた焼酎6:お湯4の割合でつくるお湯割りが日本中で飲まれるようになっていったんです。

焼酎の「お湯割り」

それまで強烈な味わいという印象を持たれていた焼酎が、このブームをきっかけにふんわりと飲みやすいお酒として広く認知されていきます。

こんなブームの勢いに乗って大きく成長を遂げたのが当社の代表銘柄「白岳」です。当時、減圧蒸留法という新しい製法で造ったクセのないソフトな風味とお湯割りの香りが抜群にマッチしたんですね。

また、この減圧蒸留で造った白岳は特有のにおいを取り除くための貯蔵期間が従来の約半分で良くなったこともあり、全国から増え続ける注文に対してもスピーディーに対応できるというメリットもありました。

こうしたお湯割り人気によって白岳の出荷実積は約5年で倍増し、スッキリした米焼酎としてその名を全国に轟かせていきます。

そして、この第一次焼酎ブームでお湯割り人気と並行して起こったのが世界的なホワイトスピリッツ(透明な蒸留酒)の躍進です。

実際、この時期のアメリカではカクテルにも使いやすいジンやウォッカの消費量がバーボンやウイスキーを追い越すなど、自由なアレンジを楽しめるお酒が支持される「ホワイト革命」という動きが生まれていました。

こんな流れが日本にも派生したことによって、スッキリとした飲み口が特長の連続式蒸留焼酎(甲類焼酎)が「ニュースピリッツ」として注目を浴びながら、その人気を高めていくことになります。

そして1983年。ついに焼酎全体の出荷量がウイスキーを追い越して、国内でビール・日本酒に次ぐ第三のお酒へと躍り出ました。

お湯割りとホワイトスピリッツ人気によって勢いづいた第一次焼酎ブームが“スッキリと飲みやすい焼酎”という嗜好の変化を呼び起こし、次なるブームの下地を作っていったのです。

第2次ブーム:「チューハイ文化と焼酎」

それまでのお湯割りで飲むスタイルから多様な楽しみ方が生まれた第2次焼酎ブームは、1980年代の中頃からスタートします。

チェーンの居酒屋が急増して、甲類焼酎を炭酸で割ったチューハイや焼酎ハイボールの人気が高まっていったこの時代。お酒の味はもちろん、飲むシーンの変化がブームを作りあげていった面も見逃せないポイントです。

しろハイボール缶

また、缶商品の登場によって焼酎を日常で楽しむ機会が増えたことで、本格焼酎もクセの少ない原料が支持されるようになっていきます。

第1次ブームから人気を博していた“そば焼酎”や技術改良によってマイルドに進化した“麦焼酎”が一気にその存在感を高め、米焼酎と同じスッキリ路線で全国的なブームを牽引していったんですね。

ちなみにこの第2次焼酎ブームの真っ只中に生まれ、爆発的な人気で日本中を席巻した銘柄が当社のメインブランド白岳しろです。

チューハイ×居酒屋というこのブームの王道路線を歩むのではなく、オンザロックで旨味を増す酒質を武器に「高級×上質」という切り口でホテル・BAR・スナックといったチャネルを開拓していきました。

こうして独自の進化を遂げた白岳しろの躍進もあって、92年には大規模なボトリング工場を新設するなど生産体制も徐々に強化されていきます。

そんな第2次ブームを語っていく上で、もう一つ忘れてはいけない重要なトピックが「樽熟成焼酎」の登場です。

ウイスキーやブランデーでは当たり前だった樽貯蔵による熟成ですが、酸化しやすい焼酎では長年実現が難しいとされてきました。しかし、研究が進んだことで1980年代から少しずつ樽熟成された焼酎が市場に現れます。

当社の熟成樽

樽熟成焼酎は樽の種類や貯蔵期間によって風味やコクを変えられることもあり、当時は各蔵の個性を発揮したアイテムが次々と生まれました。

ちなみに2010年に発売した金しろ(謹醸しろ)もシェリー・アメリカンホワイト・コニャックという3種の樽で長期熟成させた本格焼酎。この樽熟成ブームから、約25年後に誕生した当社の自信作です。

ご覧いただいたように居酒屋で提供されるチューハイやクセのない原料によって造られた本格焼酎から始まった第2次焼酎ブームは、年代物の樽熟成焼酎という次のタネを巻きながら大きく成長していきました。

さて、次章では日本に本格的な焼酎文化を根付かせる契機となった第3次焼酎ブームの盛り上がりを覗いていきましょう。

第3次ブーム:「プレミアム焼酎の台頭」

巷では「ITバブルの崩壊」という話題が叫ばれていた2000年代初頭、焼酎の世界には3度目のブームが到来します。

スッキリとした味わいが好まれた第2次ブームから一転。今度は伝統的な製法で造られた個性の強い芋焼酎が圧倒的な人気を獲得し、中でも入手困難なプレミアム焼酎は高値で取引されるようになりました。

そんな芋焼酎の爆発的ヒットから始まったブームによって焼酎全体の消費が急拡大し、2003年にはついに日本酒の消費量を上回るほどの勢いに。

ちなみに当社の売上高が過去最高に達したのもこの時期で、最盛期には出荷待ちのトラックが大晦日まで列をなすほどの活況だったそうです。

そして、これほどまで第3次ブームが大きくなったのは消費者の健康志向が進んだことも大きかったと言われています。

2000年頃からTVで健康について取り上げる情報番組が増えたことで、これまで地元局での露出が多かった焼酎が、糖質・プリン体0という観点から全国ネットへ登場するようになって認知を獲得していったんですね。

また、こうした消費に拍車をかけたのが焼酎BARと呼ばれる新業態です。

それまで焼酎は食事と一緒に楽しむ「食中酒」として親しまれてきましたが、ブームを機にプレミアム焼酎などの人気銘柄が生まれたことで焼酎そのものを食後に楽しむという新しい飲用スタイルが確立しました。

BARにふらっと立ち寄って焼酎の飲み比べや利き酒を楽しむ。そんな光景が全国で見られるようになったのも、このブームが生んだ価値の一つです。

芋焼酎人気の再来とプレミアム焼酎の盛り上がりから始まった第3次焼酎ブームは、健康志向という消費者の変化を捉え、焼酎の楽しみ方そのものを変えた大きな転換点となりました。

最後は焼酎ブームが終焉を迎えたいま、これからの未来に向けてどんな酒造りに取り組んでいきたいかというテーマに触れていきます。

目指すのは「次なるブーム」?

今回は約30年にわたる焼酎ブームの歴史と変遷について見てきました。

本来ならここで「現在、次世代のブームを創るために社員一丸となって頑張っています!」なんて言いたいところですが、中途入社してから4年近く社内でこうした掛け声は一度も聞いたことがありません。

まあそれもそのはずで、当社がこれまで一貫して創ろうとしてきたのは一過性のブームではなくお酒という一つの文化だからです。

いつもの食卓の中に白岳の米焼酎がある幸せな風景をつくりながら、お酒から生きる楽しみを感じてもらえるようなコミュニケーションを一つでも多く紡いでいくこと。

こんな豊かな酒文化の創造こそ当社が創業から120年以上追い求めてきたミッションなので、これからも遠くの理想を見据えながらお客様が喜ぶ顔のためにいいお酒を造り続けていきたいと思います。

とはいえ、自社のお酒を多くの人に楽しんでいただける現象は一度味わってみたいとも思うので、この白岳しろnoteから一大ブームを起こせるようにこれからも愚直に書き続けていきます。

それでは、また来週お会いしましょう!

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