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あの日、縁側で眺めた風景から生まれた自社ブランドの精神。球磨焼酎の常識を覆した白岳の挑戦はあるひとつの山から始まった

時代を超えて愛されてきたブランドには、数多くの物語が潜んでいます。

私たちの主要銘柄「白岳(はくたけ)」もそんな長い歴史をもつブランド。1960年(昭和36年)の誕生以来、造り手の想いと飲む人たちの笑顔をつなぐことで本格米焼酎の王道を目指してきました。

そして今回紹介するのが、この白岳が生まれた瞬間のストーリーです。

当時、一人の造り手がある山を眺めていた時に降りてきた白岳という名前のアイデアと米焼酎が目指すべき未来像は、それまでの球磨焼酎の常識を一変するイノベーションとなって日本中を席巻しました。

また、そうした着想から半世紀以上を経た現在でも、当社パック製品の正面にはモチーフとなった山のデザインが描かれています。

私たちの酒造りを支えてきた哲学であり、燦然と輝く北極星としていつも変わらず進むべき方角を指し示してきた白岳ブランド。

その揺るぎない理念が生まれた起源にはどんな物語があって、一体どのような形で次の世代へと受け継がれてきたのでしょうか。

あの日、造り手が山の向こうに見た風景に近づくことで当社が造る米焼酎の本質へと迫れるかもしれない。そんな期待とともに、まずは60年以上前の時代へとタイムスリップしていきたいと思います。

「白岳」という理想を求めて

イラストレーター 信濃  八太郎 作

この絵は、創業以来120年以上ものあいだ当社の蒸留所を見守り続けてきた「白髪岳(しらがたけ)」という山を描いたものです。

まだ白岳が産声を上げる前のこと。当社3代目の高橋 勇はよく自宅の縁側でお茶を飲みながら、穏やかな白髪岳の景色を楽しんでいたといいます。

白髪岳(しらがたけ)

そんなある日。それまでの主力製品「市房の露」をリニューアルするために新たな商品名を模索していた3代目は、日頃から眺めている白髪岳を前にしてこんな発想に辿り着きました。

「そうだ、白髪岳から我(が)を取って“白岳”にしよう!」

伝統的な球磨焼酎の持ち味でもある、強烈な香りや独特の呑み口。

こうした強い個性(我の強さ)が地元では熱烈に愛されていた一方、球磨焼酎を飲み慣れない人たちから敬遠されやすい要因にもなっていました。

3代目はそんな我(が)を抑えることで出来るだけ多くの人に米焼酎を楽しんで欲しいと考え、その想いを商品名に託したのです。

白岳パックの裏面

ちなみにこのエピソードは白岳のパック商品にも記載されており、今日でも当社が大事にする酒造りのコンセプトとなっています。

そして「誰もが飲みやすい米焼酎」という先代の理想を、技術革新によって実現したのが4代目の高橋 正剛(現会長)でした。

noteでも紹介しましたが、減圧蒸留器と呼ばれる機器をいち早く導入して、すっきりと飲みやすい米焼酎の製造に成功した4代目。

昔ながらの球磨焼酎を愛する地元の人たちの「こんなのは焼酎じゃない!」といった声を受け止めながらも、日本中で米焼酎が楽しまれる未来を夢見て白岳に込められた信念を貫き続けました。

白岳の減圧蒸留器

その後、当社の本格米焼酎は全てこの減圧蒸留法で製造され、すっきりと飲みやすい酒質を武器に日本中の市場へと広がっていくことになります。

白髪岳を見上げた3代目の理想と、新たな酒造りに挑戦した4代目の信念。

ここまではそんな白岳の起源に触れてきましたが、次章は大きく舵を切った当社の米焼酎がいかなる進化を遂げたのかを見ていきましょう。

いつも輝く個性のそばに

尖った個性(我)を抑えてソフトな米焼酎へと生まれ変わった白岳ですが、決してお酒としての個性そのものを捨てたわけではありません。

「主役は自分たちではなく、あくまで美味しい料理」

新たにそんなスローガンを掲げ、どんな食材の味も引き立てるお米の強みを磨き上げることで、食事と楽しむ“食中酒”としてのポジションを積極的に確立していったのです。

1970年代のお湯割りブームから1980年代のチューハイブームへの過渡期で、本格焼酎全体の消費が大きく盛り上がっていた時代。

それまで和食中心だった家庭の料理にも洋食や中華といった新しいジャンルが登場して、どんな素材や調理法とも相性の良い米焼酎が地元を中心に全国で飲まれるようになっていきました。

今でも「昔、祖父や父が家で飲んでました」なんて嬉しい言葉をよくいただくのは、この時期に白岳が日本中の食卓と深く結びついたからなんですね。

こうしてみると、白岳は自分が最前列で目立つよりも、一歩引いた場所から色とりどりの個性を輝かせてこそ活きるブランドだとわかります。

「我を抑える」という思想は単に控えめなお酒を造ることではなく、目の前の相手との相乗効果によって、これまでに無い素晴らしい世界を生み出そうとする調和の精神でもあるんです。

ことさらに美味しいお酒だとアピールするよりも、食卓を温かな場所にすることで結果的に豊かな食文化の一部となっていく。そんな営みを通じて、白岳はこれまで地道にファンを増やしてきました。

また、当社がコラボレーション企画に前向きに取り組んできたのも、相手の良いところを最大限に引き出そうとする白岳のルーツが前向きに作用しているのかもしれません。

こうして、我を抑えるという基本理念からスタートした白岳はその名の通り誰もが飲みやすいお酒となって日本全国の食卓に登場し、美味しい料理との結びつきを強めながら一つの文化となっていきました。

最後は、この記事のテーマである白髪岳が当社にとってどのような存在なのかをお伝えしていきたいと思います。

自分たちにとっての白髪岳

白岳が誕生してから60年以上が経った今も、その起源である白髪岳は私たちの心の拠り所として多良木の地に悠然と佇んでいます。

そして、その間にも白岳ブランドは少しずつ形を変え、世代を超えた造り手がそれぞれの時代に合わせた米焼酎を生み出してきました。

その中でも、白髪岳から影響を受けた3代目のインスピレーションを色濃く受け継いでいるのが2019年にリリースされた白岳KAORUです。

こちらは白岳とKAORUのパック商品を比較したものですが、3代目がお茶を飲みながら眺めた昼間の白髪岳をイメージした白岳に対して、KAORUは満月と星空に囲まれた「夜の白髪岳」をモチーフにしているんですね。

それは白岳KAORUを開発した造り手が、まだ高校生だった頃のこと。

部活が終わって夜遅くに自転車で自宅まで帰っていた時、ふと見上げると白髪岳の上にぽかんと浮かんだ大きな月が辺りを優しく照らしていました。

その光景があまりにも美しかったことから、眼前に広がっていた満天の星空をパッケージのデザインに採用して、煌々と輝く満月を黄色いキャップによって表現しているといいます。

仕事終わりにお茶を飲みながら縁側で眺めた昼の白髪岳と、学校の帰り道に見上げた満天の星空に浮かぶ夜の白髪岳。

香りも味わいも全く異なる米焼酎は、半世紀以上の時を隔てた造り手が同じ山を眺めたことで誕生しました。そんな別の時代を生きる二人を結びつけたのは、まさに「我を抑える」という白岳の哲学だったのです。

悩んだ時にはいつでも帰れる当社の原点であり、新しいことが生まれる発信地でもある。私たちにとって、白髪岳はそんな場所なんですよね。

ちなみにこちらは社員で白髪岳を登った時の様子ですが、標高1417mの白髪岳は道もなだらかで初心者でも安心して登ることができます。

白岳のようにどんな人も分け隔てなく受け入れてくれる優しい山ですので、人吉球磨にいらした際はぜひ白髪岳登山にも挑戦してみてください。下山した後に飲む「白岳のソーダ割」は格別ですよ!

高橋 光宏 代表(5代目)

今回は当社のメインブランドである白岳の由来となった「白髪岳」についてお送りしてきましたが、いかがでしたか?

我を抑えた中にもふんわりと香る風味やふくよかなお米本来の旨味が白岳の持ち味ですので、ぜひ一度美味しい料理と合わせてみてください。きっとそこには穏やかな白髪岳の姿が見えてくるはずですから。

それでは、また次回お会いしましょう。