一粒のコーヒー豆で地域と世界をつなぐ「阿蘇珈琲プロジェクト」。南阿蘇の大自然で育った国産コーヒーが生みだした大きな絆とは
ここは、阿蘇五岳と外輪山に囲まれた熊本県の南阿蘇村。
世界最大級と言われる阿蘇カルデラの南部に位置するこの村には、白川水源や南阿蘇鉄道といった豊かな自然を活かした観光スポットが点在しており、毎年この地を訪れる人々を魅了し続けてきました。
そして、そんな南阿蘇の豊富な自然や人々の魅力に惚れ込んで移住し、この土地を盛り上げるために人生を掛けて取り組んできた人物が物語の主人公です。
後藤コーヒーファーム代表・後藤 至成さん
国内で流通するコーヒー豆の約99%が海外産という中、1%の可能性を追い求めて地域ブランド「阿蘇珈琲」を立ち上げた後藤さん。
自分たちの国産コーヒー豆を起点に、周りの農家と力を合わせて地元を巻き込みながら、南阿蘇の魅力を全国に発信してきました。
いまや全国から多くの見学者や参画希望者が集まるという「阿蘇珈琲プロジェクト」とは、一体どのようにして誕生したのか。
今回は後藤コーヒーファームを見学させていただきながら、国産コーヒーの味わいやその根底に流れる想いに迫ります。
教育と農業、それからコーヒー
--後藤さんは、この農園で長年コーヒーを作ってこられたんですか?
後藤/いや、僕はずっと高校教師をしてきたんですよ。
大学卒業後に熊本県内の学校で農業を教えるようになって、2002年に阿蘇市の高校へ赴任してきました。初めて南阿蘇を訪れた時、その涼しい気候や水の素晴らしさに感動したのを今でも覚えてますね。
一方で、阿蘇の農業はもっと全国に知れ渡っていいレベルにあるとも感じたんです。日本屈指の自然に恵まれていながら、平地と同じような作物や出荷基準で勝負しているのは余りにもったいないなと。
後藤/それからほどなくして、高校の農業実習で阿蘇を新たにアピールするための作物を生徒たちと一緒になって探し始めました。
最初は希望の多かったサクランボやりんごからスタートしたんですけど、最終的には阿蘇の強い風が吹いても実が落ちにくく、この土地の景観を崩さない作物を育てるという方向性が固まってきたんですよ。
そんな軸で色々試した結果、意外にもパイナップルやバナナのような熱帯地方の果物が阿蘇の自然条件とマッチすることがわかったんです。
後藤/農業実習で育てた果物を試しに食べてみると、現地で作られた市販品と比べても飛び上がるほど美味しかったですから。
この時に阿蘇と熱帯作物の相性の良さを再確認して、同じように熱帯で育つコーヒー栽培に注目し始めたんです。阿蘇のコーヒーがお茶のような感覚で日本中の人に楽しんでもらえたら、これは最高だろうなって。
見てください、こちらが木になったコーヒーの実です。
後藤/この中に入っている種を乾燥させて、その後に焙煎すると皆さんが普段目にしている黒いコーヒー豆になります。
よく「阿蘇みたいに寒い土地でコーヒーが育つの?」って聞かれますけど、コーヒーは中南米やアフリカのような過酷な暑さはもちろん、ハウスがあれば0℃近くの寒さにまで耐えられる本当にタフな作物なんですよ。
後藤/農業は、暖めるよりも冷やす方が約3倍のコストが掛かりますからね。
そういう意味で、冬場に実が成熟期を迎えるコーヒーにとって阿蘇は格好の産地と言えますし、夏と冬の温度差が大きいこの土地だからこそ引き出せる独自の味や香りがあると信じているんです。
山から吹く風のおかげで虫や病気も少ない上に、阿蘇特有の涼しい気候や美しい湧水のおかげで風味豊かな豆が育ってくれていますから。
後藤/これまでを振り返ると、2007年に南阿蘇へと移住して、農業高校での教員生活を定年退職した2018年にこの農園を立ち上げました。
その背景には私なりの想いがあったんですけど、まずはここ阿蘇で作られたコーヒーを一杯飲んでいただくことにしましょうか。
一粒の豆がつなぐ人々の絆
後藤/いまから飲んでいただくのは、この農園のコーヒー豆とブラジルのタデウ農園の豆をブレンドしたドリップコーヒーです。
後藤/通常ここでは販売してないんですけど、今日はせっかくなので飲んでもらいたいなと思って特別に準備しました。
--スッキリした飲み口の中に、コク深い甘みがフワッと広がりますね…
後藤/本来コーヒーって、じっくり熟成させることで甘みが増すんです。
コーヒーは過酷な環境である程度放っておいても育つ強い作物なんですけど、ここではハウス栽培で気温や水分を調節し糖度を上げ、阿蘇の厳しい環境が熟成期間を長くなることで香り高いコーヒーになります。
僕たちが作っている阿蘇珈琲って、実は南阿蘇の雄大な自然と最新技術が組み合わさった贅沢な一杯なんですよ。
--ここに来れば、コーヒー豆は販売していただけるんですよね?
後藤/うちの農園では一般の方に向けた豆の販売はしてなくて、コーヒーの木の「オーナー制度」を採用しています。
事前の申し込みに当選すれば、オーナーとして1年間自分の木を所有できる仕組みです。年間の料金は一本につき3万3000円(税込)ですけど、最近はありがたいことに全国から多くのご応募をいただいてます。
コーヒーの木は基本的に私たちが管理しますが、もちろん南阿蘇に来てご自身で生育に携わるのもOKですし、何より収穫した豆を焙煎して自分のコーヒーを楽しめるのがこの制度最大の魅力なんです。
--どうして、豆の販売ではなくオーナー制度を取り入れたんですか?
後藤/きっかけは、2016年に発生した熊本地震でした。
あの震災で阿蘇の町はもちろん僕の自宅も全壊して、それまでの日常が一変したんですよ。南阿蘇には未だに復興できていない場所も多くありますし、被災した当時は何をして良いかもわからない茫然自失の状態でした。
ただ人間というのは不思議なものですね。時間が経つとそんな状況にも自然と慣れて、自分のやるべきことに少しずつ目が向いてくるんです。
後藤/自分が人生を掛けてきた農業で、阿蘇の地をもう一度元気にしたい。
そう決意した時に浮かんだのが、当時取り組んでいたコーヒー栽培を阿蘇の活性化につなげるオーナー制のアイデアでした。観光が主な産業の阿蘇に、阿蘇珈琲の魅力で多くの人を呼び込めたらと考えたんです。
日本には、熱烈なコーヒーファンの方々も多いですからね。彼らがこだわる焙煎方法や淹れ方に加えて、自ら育てた豆で完全オリジナルのコーヒーを作れる場所として南阿蘇をアピールできるんじゃないかって。
後藤/もう一方で、熊本地震で元気を無くしてしまった高齢者たちを少しでも勇気づけたいという想いもあったんですよ。
高齢の方があの震災の傷跡から一歩踏み出すには、未来に対して何かしらの希望が必要だと思ったんです。その点コーヒーは狭い土地でも育てやすく重量も軽いので、前向きな気持ちでチャレンジしてもらえたらなって。
高齢者のやりがいを生み出しながら傷ついた阿蘇の土地を再活用するのも、このプロジェクトの隠された目的なんです。そのために役場で栽培方法をレクチャーをしたり、一緒に畑で作業をしたりと色々トライしてきましたよ。
後藤/そんな活動を続けていると次第に頼もしい仲間も増えて、今ではこの辺の協力農家が一つになって阿蘇珈琲の魅力を発信しようとしてます。
とはいえ、まだまだ課題も山積みなんですけどね。
生産量が少ないので市販のコーヒー豆に比べてどうしても価格は高くなりますし、日本全国からの期待やご要望にお応えするには、これまで以上に木の本数や栽培する畑を増やしていく必要もありますから。
後藤/それでも一本のコーヒーの木が阿蘇への深い愛情を育んでくれるなら、この活動を推進している意味は十分にあると思うんです。
コーヒーを通じて南阿蘇を訪ねる人や移住する人が増えて、元から暮らしていた住民たちとの交流が深まることで地域が盛り上がっていく。そんな風景を生み出すことが、僕の目指す復興のかたちなのかもしれませんね。
これからも阿蘇の外と内を阿蘇珈琲でつなぎながら、一人でも多くの人たちに笑顔を届けられるよう頑張りますよ。
南阿蘇の大自然に抱かれて
--最後は、これからの展望について教えていただけますか?
後藤/いまこの阿蘇珈琲プロジェクトには、県外からの視察や全国のオーナー希望者様も含めて多くの人たちの関心が集まっています。特に若い世代には、ビジネスを超えて挑戦しようとする意欲的な人も多いんですよ。
コーヒーという飲み物が、日本はもちろん世界中でいかに愛されて人々の日常に溶け込んでるのかを痛感している毎日ですね。
後藤/だからこそ阿蘇珈琲プロジェクトもその大義を忘れることなく、全国に一人でも多くのファンを増やしていけたらなと思ってます。
まずはオーナーの方々や活動を応援してくれている皆さんに、美味しい阿蘇のコーヒーをしっかりと届けていくこと。これまでの活動を地道に続けることで、さらに大きな絆が生まれていくはずですから。
後藤/そして、私が個人的に昔から大切にしてきた「変化を楽しむ」という考え方にもこだわり続けていくつもりです。
教育や農業の現場には絶対的な正解が無い上に、刻一刻と変わっていく状況に対して臨機応変に対応する力も求められます。そんな時に最も大切なのが変化そのものを楽しもうとする姿勢なんですよ。
後藤/これまでも大変な場面は沢山ありましたけど、生徒や周りの人たちのアドバイスに耳を傾けながら全てを一から学ぶようにしてきました。
これからも「変わることが当たり前」というスタンスを大事にしながら、地域の仲間たちと一緒に阿蘇珈琲の素晴らしさやその味わいを日本全国、そして世界に向けて発信していきたいと思います。
--後藤さん、今回はありがとうございました!
後藤/南阿蘇の美しい景色や美味しいグルメもぜひ体験して欲しいですし、農園見学も随時受け付けていますので、また遊びに来てください。
その時はまた阿蘇の美味しいコーヒーでも飲みながら、ゆっくりとお話しましょう!