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熊本出身の元十両・肥後ノ城 政和が歩んできた相撲との半生。教師に転身した今こそ子供たちに伝えたい、勝負の世界で掴み取った教訓とは

「土俵には金が埋まっている」

これは白星を掴んだ者だけが出世していく相撲界において、そこから這い上がろうとする力士たちを鼓舞してきた伝統的な格言です。

100kg超の肉体がぶつかり合い、一瞬で勝者と敗者を決する世界。

そうした苛烈を極める闘いの中で研鑽を重ね、十両まで駆け上がった熊本出身の元大相撲力士が今回の主役・緒方 政和さんです。

PROFILE 緒方 政和(元  肥後ノ城  政和)
熊本県立熊本支援学校 講師/元十両/14年の力士生活を経て、2022年に教師に転身。ロアッソ熊本とスイーツと銀しろが大好き

一度は社会人を経験して、入門期限間近の22歳で角界入りを果たした「脱サラ力士」としても注目を浴びた緒方さん。

現役時代は幕下での優勝を果たすなど、得意の立ち合いを武器に自分よりも大柄な相手を次々となぎ倒してきました。

そして、緒方さんが第二の人生として選んだのが教育者としての道です。

支援学校の講師として現役時代と変わらず真正面から生徒と向き合い、昔から憧れる理想の教師像に近づくため日夜奮闘しています。

相撲に明け暮れた学生時代、プロ入りを断念してからの社会人生活、そして大相撲の力士として闘い続けてきた14年間の日々。

今回は勝負の世界に長年身を置いてきた緒方さんの半生を掘り下げながら、いま子どもたちに伝えたい相撲を通じて学んだ教訓について伺います。

相撲から見えた、自分という存在

--相撲はいつ頃から始められたんですか?

緒方/友達に誘われて、小学4年生から始めました。

それまでは柔道やハンドボールでしたけど、白黒はっきりつく相撲が僕の性格に合ってたみたいで。村相撲も盛んな地域でしたし、熱心な指導者にも恵まれて少しずつ相撲の世界に惹かれていきました。

中学では強豪校からのスカウトを断って、友人とその兄貴の3人で相撲愛好会を立ち上げたんです。最終的に団体全国中体連3位、個人全国2位という成績だったのでかなり頑張ったと思います。

強いチームに所属するより、友達と一緒に挑戦したり地元のために頑張りたい。そんな一本気な性格も昔から変わっていませんね。

緒方/中学までは順風満帆な相撲人生を送ってきましたけど、初めての挫折を味わったのが高校時代でした。

全国でもトップクラスの実績。同級生はもちろん、先輩にも負けない環境で完全に天狗になっちゃったんですよ。歯車が噛み合わずに、実力が格下の相手にも勝てないことも増えて悩み続けましたね。辛かったです。

結局は僕の弱さが生んだ、心の隙だったんでしょうね。

日体大に入ってからは周りが強い人ばかりでなんとか自分を取り戻せましたけど、相撲は心技体の競技だと痛感しましたし、自分は逆境ほど強くなるタイプなんだと改めて知りました。

--大学に入ってからはプロ入りを目指さなかったんですか?

緒方/そうですね。大学からプロ入りすることはキッパリ諦めました。

小さい頃はお相撲さんになりたいって思ってたし、高校でも一応お誘いはあったんです。ただ、自分の小柄な体格や色々なしがらみもあって卒業後は社会人として働きながら相撲に携わろうと決意して。

なにより、相撲を通じて地元に貢献したいという想いが強かったんですよ。

実業団で相撲をしながら熊本を盛り上げたかったので、卒業後は県が運営する運動施設の職員として社会人生活をスタートしました。

大相撲への挑戦と父の言葉

--社会人を経験してから、なぜ力士に転向しようと思ったんですか?

緒方/働きながらでも、充分相撲は出来るって思ってたんですけどね。

日々の練習量が減り続け、体型もみるみる崩れて明らかに弱くなりました。そこに追い打ちをかけたのが、国体の選考に漏れたことです。熊本に貢献したくて帰ってきたのに何も出来ない自分がなんとも不甲斐なく感じて。

何事も上手くいかなくて少し腐ってた時期で。どこにもぶつけられない苛立ちを一緒に食事をした先輩に愚痴ってたら、こう言われたんです。

「もしかして、まだ間に合うんじゃない?」

緒方/最初は冗談だと思って、笑ってました。

大相撲入門の年齢制限は23歳。自分に残されたリミットはわずか3日しかありませんでしたから。でも、たまたま11月の九州場所に各部屋が巡業していたことや先輩の口利きもあって、僕の運命が再び動き始めたんです。

元々木瀬部屋に入門したいと憧れていたので、すぐに相撲界の新弟子検査を受けました。話は自体トントン拍子で進みましたが、熊本の合宿所で親方から力士になる覚悟を問われた夜はさすがに一睡も出来ませんでしたね。

本当に自分は力士になりたいのか

そんな迷いを父親に打ち明けたら「自分の好きなようにやってみろ」と背中を押され、その言葉で角界入りを決意しました。22歳の冬でした。

緒方/入門後は序の口、三段目と優勝を重ねて順調な滑り出しに見えますけど、親方の見方は全く違いました。

「大学相撲出身の自分が負けるわけ無い」。そんな僕の油断というか悪いクセをしっかりと見抜いていたんです。特に格下相手の取りこぼしには厳しくて、そこで勝負に対する心構えを徹底的に仕込まれました。

そこから勝ったり負けたりを繰り返しながら、相撲の番付の中でも大きな境となる十両手前での停滞期間が続いて。周囲からの「今年こそ昇格」というプレッシャーに日々押しつぶされそうになっていったんです。

緒方/ただただ不安な毎日で、暗闇の中にいるみたいでした。

一方からは「これをしろ」、もう一方からは「これはするな」。もう誰を信じていいかわからない疑心暗鬼の状態で。でも大相撲の騒動で所属部屋が変わった時、そこで出会ったある先輩に救われたんです。

「導くけど、教えない」がその方のスタンスで、選択肢は示しながらも最後は自分で決められるように背中を押してくれました。

このアドバイスで目の前の相手に集中して相撲が取れるようになり、2013年11月に念願の十両入りを果たしました。奇しくも入門時と同じ九州場所。発表前日まで昇格出来るか微妙で、この時も一睡も出来ませんでしたね。

緒方/それから幕下への降格を経験しながらも必死に闘い続けて、2021年11月の九州場所をもって相撲界から引退しました。

子供の頃から数えると28年間の相撲生活でしたけど、自分の中では「やりきった」と心の底から思えたので悔いは全く無かったです。

それ以上に凄い人たちが集まるこの世界に身を置けたこと、そして自分を支えてくれる人たちに出会えたことへの感謝しかありません。本当に幸せな14年間の現役生活でした。

誰かの可能性を引き出すこと

--そんな勝負の世界にいた緒方さんは、いま教職の道に進まれています

緒方/子供の頃から、人に教えることが大好きでしたから。

自分の指導が伝わって、その人の目の色が変わる瞬間がたまらないんです。あと現役時代から老人ホームや熊本地震の慰問に行くことも多かったので、セカンドキャリアは人に寄り添う仕事をしたいと思ってました。

ご縁があってこの学校で教師になりましたけど、子どもたちと向き合う日々はとても刺激的ですし、現役時代はなかなか一緒にいられなかった家族との時間も持つことが出来て毎日がとても充実しているんです。

緒方/まだ新米ですけど、いつかは生徒を導けるような先生になりたいです。

僕が苦悩していた時期に救ってくれた先輩の教え方を見て、人は本来自分で学びとる力を備えていているんだと実感したんですよね。 僕たち教える側はその力を素直に引き出すだけでいいんだって。

生徒自身が主体的に考えて自分たちの力で未来を切り開けるよう、その傍らでしっかり支えたいと思ってます。

--相撲の世界を経験した緒方さんが、子どもたちに一番伝えたいことは?

緒方/どんな高いハードルでも、まずは挑戦することの大切さです。

自分も大相撲なんて夢のまた夢だと思っていた時期がありましたけど、あのとき一歩踏み出せたからこそ今の自分があります。諦めた瞬間に道は閉ざされてしまうので、何事にも臆せず飛び込んで欲しいです。

何かしらの障がいを抱える特別支援学校の子どもたちにとって、挑戦そのものが困難だと感じる場面にこれから出会うかもしれません。

でも、大事なのは結果じゃないんですよ。

緒方/僕だって、頑張ったけど横綱にはなれませんでした。

それでも挑戦した時間は絶対に無駄ではないし、大相撲の世界で経験したこと全てが僕にとって大きな財産になっています。

何かに思いっきりチャレンジして、笑ったり泣いたりする。そんな人生の充実感を子どもたちにも味わってもらいたいから、自分と同じ様に好きなことには何でも挑戦して一生懸命やり切ってほしいですね。

--緒方さん、本日はありがとうございました

緒方/熊本支援学校は今年で創立50周年を迎えるので、しろのボトルには「50周年  がんばろう」って書きました。子どもたちの挑戦を見届けられるよう、僕自身も一緒に頑張って成長していきたいと思います。

白岳の米焼酎の中でも僕は「銀しろ」が大好きでロアッソ熊本のサポーター仲間たちと楽しく飲み続けてきましたので、これからも美味しいお酒を期待してますよ!

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