なぜ今「ウイスキー」なのか?明治時代から米焼酎を造り続けた蔵元が、新たな酒造りに挑戦する意義を3つの視点から紐解いていく
高橋酒造は、これからウイスキー造りに挑戦していきます。
この新事業は熊本県が展開する「くまもとアートポリスプロジェクト」の一環で、熊本県・人吉市・高橋酒造が三位一体となってウイスキー蒸留所と地域交流施設を立ち上げる取り組みが2023年から発進しました。
そして、このウイスキー造りの舞台となるのが熊本県人吉市田野町です。
当社人吉本社から、車で40分ほど南に下った県境に位置する田野町。
この日、町を一望できる美晴山(みはるやま)では毎年恒例の野焼きが行われ、田野高原がゆっくりと春の訪れを迎えていました。
こんな自然豊かな町の真ん中で、当社が蒸留所として活用しようとしているのがこちらの旧田野小学校跡地です。
昔から地域の方々に赤い屋根の学校として親しまれてきた田野町のシンボルは、町の人たちにとって心の拠り所にもなってきました。
この建物の良さを残しながら活用することで、ウイスキー製造はもちろん。蒸留所見学や試飲施設など、県内外の方々が交流できるような拠点へと成長していくことを目指しています。
ただし、ウイスキーは樽で寝かせて造る長期熟成酒。
製造から最低3年は経たないと出荷することが出来ないため、当社ウイスキーが実際に飲めるのは2027年以降の予定です。しかも、その味が多くの飲み手に受け入れられるのか今の段階ではまったくの未知数。
こうしたリスクも少なくない新規事業に、これまで安定して120年以上米焼酎を造ってきた当社がなぜ取り組むのでしょうか。
この記事では、3つの視点を通じてその想いを語っていきます。
田野を見守り続けてきた人たち
想いを受け止めて、形にしてきた設計者たち
そして、田野を新たな事業のスタート地点に選んだ造り手
いま田野町でウイスキーを作る意義について、この3つの視点を照らし合わせながらじっくりと紐解いていきたいと思います。
田野を見守ってきた人々の視点
まず田野町を代表してお話を聞いたのが、住民のみなさんでつくる田野高原美晴山会の会長・元田 宗治(もとだ むねはる)さんです。
前町会会長として、長い間田野の変遷を見守ってきた元田さん。蒸留所が建つことについて、内心どう感じているのでしょうか。
--元田さん、今日は当社の蒸留所について率直な想いを聞かせてください
元田/田野蒸留所が出来るのは、とても楽しみですよ。だって多くの人に田野を知ってもらえるこれ以上ないチャンスじゃないですか。
他地域の人と話すたびに「田野ってどこにあるの?」って言われて、悔しい思いをしたことも少なくないんです(笑)。その頃から、もっと情報発信を増やさなければという危機感は常に持っていました。
蒸留所ができると、きっと多くの人が田野にやって来ますよね。そのチャンスは積極的に活用して、色々な方法で主体的に町をPRしていくつもりです。受け身じゃダメなんですよ、ここは自分たちの町ですから。
元田/一方で、田野小の赤い屋根の面影はそのままであって欲しいですね。
田野小は分校時代を含めると設立50年以上になるんですが、開校当時は地区の方々が3km以上離れた場所から木材を担いで学校を造ったといいます。
あの赤い屋根も田野という町のシンボルですし、私の子供たちもあの学校で大きくなりました。町の真ん中で街全体を見守ってくれていて、何故かみんなが集まってくる町民にとっての貴重な交流の場なんですよ。
元田/眼前の美晴山にも自由に出入りできる立地なので、町としても前々から有効活用したいとは考えていました。でも具体的は方法が見つかっていなかった状態で、そんな時に田野蒸留所の話が舞い込んだんです。
それでも、現時点ではまだ我々としても田野蒸留所がどのような形で運営されていくのかイメージ出来ていない部分もあります。
私たちとしてはこのプロジェクトを通じて一緒に田野地域を盛り上げたいと前向きですので、細かな情報共有をしながら自分たちができることは積極的に協力させていただきたいですね。
元田/僕を含めて、田野の人には「この町が一番!」という思いがあります。
僕らとしても他の町に負けないように田野町を次の世代に繋げていきたいので、ぜひ今後も一緒に田野を盛り上げていきましょうよ。みんなで一致団結すれば、きっと素晴らしい取り組みになるはずですから。
想いを形にする人たちの視点
田野町の方々の熱い想いを受けて次に向かったのが、福岡にある設計事務所・株式会社 yHa architects。
ここでは、田野蒸留所の設計を一手に担う建築家の平瀬有人さん、平瀬祐子さんにそのこだわりや想いを聞いていきます。
--田野でも話を伺ってきましたが、今回の設計はなかなか難しそうですね…
平瀬有人/そうですね。でも田野のみなさんも高橋酒造さんも「良いものを遺しながら、新しいものを創りたい」という点で一致しているので、我々としてはその想いを繋ぐことを大切にしています。
具体的には、あの小学校が持つ物質的記憶、郷愁的記憶、地域的記憶という3つの記憶を継承することをコンセプトに蒸留所を設計をしました。
1つ目の物質的記憶とは、田野小学校の象徴でもある赤い屋根です。
平瀬有人/やはりあの赤い屋根には地域の方の愛着がとてもありますし、校舎裏の水田に映えた姿もとても美しいんですよ。
長年田野の人たちに愛されてきたあの小学校のシンボリックな要素を残すためにも、赤の屋根色を蒸留所にもそのまま採用しています。田野町の過去と未来を繋ぐバトンは、あの赤い屋根だと思っていますから。
平瀬有人/そして2つ目が、小学校の建材に内包される郷愁的記憶です。
実際に田野小学校を視察をした時、天井の梁(はり)がとても良い状態で残っていたんです。こうした建材をできるだけそのまま活用することで、小学校だからこそ感じられる懐かしさの要素を残したいと思いました。
その土地の素材を使うことでその場所ならではの個性が建物に現れて、町の風景にもとても馴染んでくれるんです。
平瀬有人/最後が地域的記憶ですが、これは田野高原を含めた自然のコンテクスト(文脈)をそのまま活かそうという考え方です。
平瀬有人/田野小は美晴山と地続きになったオープンなロケーションなので、蒸留所にもこうした周辺地域とのつながりを取り入れて誰にとっても開かれた場所になることを目指しました。
ちなみに、運動場のトラックのイメージもそのまま残すことにしてるんですよ。建物だけを独立して設計するのではなく、この場所とつながってきた全ての要素を内包して一つの空間を創ることが大切だと考えたんです。
平瀬有人/こうした3つの記憶を継承することで、旧さと新しさが一体となるような蒸留所をつくっていきたいですね。
平瀬祐子/あと、多くの方にご来場いただけるよう、蒸留所には見学や試飲を楽しめるスペースを多くつくります。
まず、見学者は校舎入口のエントランスからスロープ状の通路を歩いて貯蔵庫や展示スペースを見学しながら二階へと登っていきます。
平瀬祐子/二階に上がると、体育館を繋ぐブリッジから一階で稼働している蒸留所を見学できる導線になっているんです。
平瀬祐子/そしてこのブリッジを渡った先にあるのが試飲スペースです。
あえて南側に設計することで、田野の美しい風景を一望しながら試飲を楽しめるような開放感のある造りにしました。多分、この景色を眺めながら飲むウイスキーの味は絶品だと思いますよ。
平瀬祐子/今は製造と見学・試飲がメインですが、蒸留所を通じて田野に多くのお客さんが来るようになったら、ウイスキーと料理のペアリングが出来たりしても面白いですよね。
周りにはまだ多くのスペースもあるので、「進化する蒸留所」として永く愛される場所になってほしいと思っています。
平瀬有人/自分たちが建築を学んだスイスやヨーロッパでは、いま「アダプティブ・リユース」という言葉が注目されています。
これは歴史的な建築物を単に保存するだけでなく、現代社会に適合(アダプティブ)させて積極的に活用しようとする考え方です。蒸留所を設計する上でも、田野小学校を後世に遺したいと思って取り組みました。
平瀬有人/古いものは、使わないと朽ちていくんです。
だからこそ、建築物を長く遺したいと思ったらただ保管するだけでなく、積極的にみんなが使ってその場所に人が集まることが大事なんですよ。使うことが、活かすこと。活かすことが、遺すことなんですね。
熊本県のくまもとアートポリスプロジェクトということで、田野蒸留所には文化的資産としての価値も生まれてきます。海外からの視察も増えますし、みなさんからこの場所の想いを触れていただけるのを楽しみにしています。
蒸留所を立ち上げる造り手の視点
最後は、この田野蒸留所を立ち上げる造り手・高橋良輔の視点です。
これまで「白岳KAORU」やクラフトジン「BEAR’S BOOK」といった数々の新酒を世に送り出してきた当社常務取締役 高橋良輔(以下良輔常務)にウイスキー造りに掛ける想いを聞きます。
--どうして田野でウイスキーを造りたいと思ったんですか
良輔常務/まずはウイスキー造りに不可欠ないい水ですね。水質調査をした結果、田野の水質が人吉球磨の中でもかなり良質だとわかったんです。
あと、この土地の歴史やストーリーに一目惚れしたということもあります。田野町に在住する郷土史家の先生に教えていただいたんですが、元々この地区は開拓者たちが一から切り拓いて暮らし始めた土地だそうです。
そのお話を聞いた時に、自分たちのウイスキー造りへの挑戦に通ずるものを感じました。こんなに自然豊かで力強い物語を背負った土地でウイスキーを造れば、きっと良いものができる。そう確信したんですよ。
--米焼酎を造る当社が、あえてウイスキー造りに取り組む意味って?
良輔常務/いま取り組まなければという企業としての危機感と挑戦してみたいという造り手としての想いが半々だった気がします。
近年ジャパニーズウィスキーが世界で認められ需要も伸び続けて、同時にお酒を飲む人たちの嗜好性も多様化しているので、米焼酎に限らず「蒸留酒」というジャンルで世界に出なければとは前々から感じていました。
ただ、ウイスキーは造りたいと思ってすぐに造れるお酒ではないので、この段階で始めなければ会社として未来を切り拓くことは出来ないと考えて今回決断をしたんです。
良輔常務/米焼酎の蔵元が世界でもメジャーなウイスキーを造るのは無謀と感じる方もいらっしゃるかも知れませんね。でも、個人的には当社にも十分チャンスは広がっていると思います。
ウイスキーはレベルの高い造り手が集まる世界トップクラスの市場ですが、質が高いお酒をフラットに評価する土壌も育っています。だからこそ、いい物を造ることが出来れば世界で受け入れられる可能性も高いんです。
また、この蒸留所で造ったウイスキーが世界中で楽しまれることによって、私たちが造ってきた米焼酎というジャンルが世界の方々から注目されるという流れをつくることもこの事業にかける意味の一つだと感じています。
良輔常務/あとは、純粋に酒造りを生業にするものとして一度はこの蒸留酒の王道・ウイスキーに挑戦してみたいと思っていました。
ウイスキーは蒸留後に樽で寝かせて熟成させた後に完成するので、待つ工程や未来の味を想像するイマジネーションといった、和酒とは違った感覚が造り手には求められます。
勉強のため色々な蒸留所を見学しましたが、伝説的なブレンダーでも味を完璧には予想出来ないその難しさを目の当たりにして、これまで焼酎を造ってきた自分の力がどこまで通用するのかを試してみたくなったんです。
良輔常務/この田野蒸留所でウイスキーを造る以上、ほかの土地でも造れるようなお酒を造るつもりはありません。
この土地が積み重ねてきた歴史やここで暮らしてきた人たちの想いをウイスキーという形で表現していくことが私の使命だと思っていますし、それを実現していくことが造り手としての最上の歓びですから。
良輔常務/この土地でしか造れないウイスキーを模索するために、いま色々な樽も準備しています。道のりは長いですが、この田野という場所を世界中に発信できるブランドを創っていきたいですね。
少し先の話にはなりますが、2027年頃には田野を代表する本格派のモルトウイスキーが誕生している予定です。
きっと皆さんの舌を満足させる一本が完成していると思いますので、それまでじっくりと楽しみにしていてください。
全ての想いは一杯のウイスキーに
さて、今回の記事では当社ウイスキー事業がをどのような人たちの想いによって支えられているのかを見てきました。
田野の自然や風土と共に生きてきた町の人たち、その人たちの想いを蒸留所という形へと変えてきた設計者たち、そして全てのバトンを受けてここでしか造れないウイスキーを生み出そうと奮闘する一人の造り手。
この蒸留所で造られるウイスキーは、きっと様々な人たちの想いがブレンドされた格別な味わいになっているはずです。
白岳は明治時代からから造り続けてきた米焼酎の枠を超えて、いま新しい挑戦の一歩を踏み出しました。田野蒸留所もウイスキーもこれからゆっくりと熟成されてその味わいや歴史を深めていきますので、今後とも何卒応援よろしくおねがいします。