見出し画像

地域で100年以上受け継がれてきた名品「人吉家具」の物語。銘木に命を吹きこむ木工職人はなぜ家具と工芸の二刀流に挑んだのか

周囲に切り立った山々がそびえ立ち、その中央には清流・球磨川が横たわる私たちの故郷・人吉球磨。

豊かな自然が育んだ美しい水と豊穣な実りがあったからこそ、球磨焼酎という文化は500年以上この地で栄え続けてきました。

多良木蒸留所からの風景

そんな人吉球磨には、球磨焼酎と同じように土地の恵みを活かしながら独自の進化を遂げた、もう一つの誇るべき文化があります。

人吉家具(ひとよしかぐ)ー

人吉球磨の厳選された木材を特殊技法で組み上げた伝統家具で、地元の森林が生みだす名品として100年以上受け継がれてきました。

そして約40年にわたって人吉家具を手掛けてきた数少ない職人の一人こそ、人吉伝統家具 やまがみの3代目・山上 貢司さんです。

PROFILE 山上  貢司 KOJI  YAMAGAMI
人吉伝統家具 やまがみ 3代目/地元の木材で家具の制作を手掛ける傍ら、繊細な工芸作品で日本代表する展示会の受賞歴を数多く誇る人吉の木工職人

木の表面に美しい杢(模様)が入った「銘木(めいぼく)」との出会いが、作品のクオリティが大きく左右するという人吉家具の世界。

山上さんは、これまでの職人生活で数限りない木材と向き合い、木の声に耳を傾けながら最高の素材を選び抜いてきたといいます。

また日々の家具制作に没頭する一方、板を組み合わせて文様を描く木画(もくが)という技法で工芸品の創作にも挑戦してきた山上さん。

その作品は日本最高峰レベルの工芸展に入選するなど、木を知り尽くした工芸家としても全国にその名を轟かせてきました。

家具の機能美と工芸の装飾美を追求し続ける、木のプロフェッショナル。

今回はそんな山上さんの希少なキャリアに触れながら、家具作りと木工の二刀流に取り組んできた想いの源泉に迫ります。

土地の自然が育んだ「人吉家具」

--山上さんが手掛けてこられた人吉家具について教えてください

山上/人吉家具はこの地で採れる木材の無垢材(一枚板)を使って、私たち職人が手作りで伝統を繋いできた家具です。

欅・黒柿・桐・山栗といった地元の木の中でも、銘木(めいぼく)と呼ばれる価値の高い材料を厳選して、人吉に伝わる昔ながらの技法で釘などを一切使わずに組み上げていくんですよ。

剣留加工

山上/例えば、これは人吉家具の中でも代表的な剣留(けんどめ)工法という技術で、木材を剣先のような三角形に細工して接着していきます。

そして、こちらは蟻組(ありぐみ)継ぎといって、木を直角に接合する時に木材の反りを利用して強度を高める伝統技法の一つです。

--この繊細な加工の一つひとつに、職人技が詰まっているんですね…

山上/確かにそうかもしれません。ただ、人吉家具を作る上で本当に難しい行程を挙げるとすれば「木の見立て」なんです。

加工は修行次第である程度出来るようになりますけど、良い木材を選ぶには相当な経験やセンスが必要になります。私も家業に入ってからは、木を知るために買付を10年近く担当させられてきましたから。

山上/木材表面の杢(もく)と呼ばれる模様の良し悪しはもちろん、家具の種類に合う材質や木目を見極めるのも大事な仕事です。

また購入した木材は「あばれ」と呼ばれるヒビ割れや反りを防ぐために最低でも10年、長いものだと30年以上乾燥させる必要があるので、木を選ぶ時には何十年先を見据えた目利きも重要なんですよね。

珍しい杢目の銘木も多くありますし、そんな木材との出会いにこそ、二つとして同じものがない人吉家具の魅力が詰まっているんです。

山上/昔からこの辺りは林業が盛んで、山江村の欅や市房杉といった全国的にも評価の高い木材の名産地だったんです。

また当時は交通網が未発達で、家具づくりの技術が地域の中で独自の発展を遂げたという経緯があり、人吉球磨の特殊な地形や自然環境が組み合わさって生まれた文化が人吉家具なんですよ。

山上/最近では外材や合板家具が普及して生産も少なくなってきましたけど、私たち職人の手で修理しながら長く使えて、親から子供、そして孫へと世代を超えて受け継いでいける良さが人吉家具にはあります。

大量消費や価格競争が主流の時代だからこそ、地元の銘木と伝統技法でつくる家具の価値がもっと見直されてもいいのかもしれませんね。

暮らしと家具、芸術と木工

--家具職人として長年活躍してきた山上さんには、全国の展示会で数々の入選歴を誇る「木工芸家」の顔があると伺いました

山上/そうですね。職人として約40年間人吉家具を作りながら、時間を見つけては工芸品の制作を手掛けてきました。

私が若い頃はバブルが弾ける前で、まだ手作り家具も絶好調だったんです。県外の展示会では飛ぶように売れていたし、いま振り返ると私たち職人の中にもどこか奢った気持ちがあったような気がします。

ちょうどそんな時期、福岡のお得意様を訪ねると「お前、商売するなら自分だけのセールスポイントを持て!」って突然言われたんです。

山上/普段なら聞き流していたかもしれませんけど、その言葉が妙に胸に響いて、何とも言えない危機感が芽生えてきたんです。

「何か付加価値を作らないと、無名な職人の家具は売れない…」

そんな風に考えた私はそれまでの生活パターンを一転して、早朝4時から朝8時までは工芸品づくりに励み、朝9時から夕方5時の営業時間には注文家具を手掛けるというダブルワーク生活を始めることにしました。

木象嵌(もくぞうがん)

山上/ハードな毎日でしたけど、当時は若かったし必死でしたからね。

家具作りで余った端材を使って、これまで取り組んだことのない新しい技法にも積極的に挑戦してみる。そうすると不思議なもので、工芸で使う繊細な技術が本業の人吉家具にも活きてくるんです。

逆に、日々の家具づくりで身に付けた木材を見る目が工芸品の厚みとなって返ってくることもありました。別々だと思っていた仕事が繋がりはじめて、少しずつ楽しくなってきたのを覚えてます。

山上/そんな日々を過ごす中、なんと木工芸の人間国宝・中川  清司先生から木画を直接教えてもらえるチャンスが舞い込んできたんですよ。

文化庁が主催する事業に私が運良く選ばれて、板を組み合わせて模様を彩る木画の基礎を先生から徹底的に学びました。伝統的な木画の風合いに、現代風のアレンジを加えた私なりのスタイルが誕生したのもこの時です。

「神代木寄木箱」/第60回日本伝統工芸展 入選

山上/木画は一つの作品の中に何百というパーツが組み合わさっていて、0.1ミリの誤差も許されないシビアな加工が必要なので、その華やかな見た目とは裏腹にひたすら地道な作業の繰り返しなんです。

その中でも「木工を極めたい」という一心で技を磨き続けて、日本伝統工芸展や国展などの権威ある展示会でも入選実績を重ねていきました。

「神代杉木画箱」/くらしの工芸展2024  熊日賞(グランプリ)

山上/ただ工芸品は直接売上には繋がりにくい上に、作品の難易度によっては構想から完成まで数年掛かるものだってありますからね。

そうした制作の苦労って外部の人からは中々理解してもらえないですし、家具づくりと両立する難しさから「いっそ辞めてしまおうか…」なんて考えたことも実は一度や二度じゃないんですよ。

山上/それでも大きな視点で振り返ってみると、人吉家具と木工品を作り続けた毎日が職人としての自分を大きく育ててくれたと確信しているんです。

大きな一枚板で組み上げる伝統家具と数ミリ単位の精密さが求められる木画の技巧を学んだことで、結果的に職人としての幅や奥行きが生まれ、自分にしか生み出せない数多く作品へとつながっていったんですから。

木と向き合ってきた人生

--最後は、山上さんの今後の展望について教えていただけますか?

山上/最近では体力や視力の低下の伴って木画制作はストップしていますが、人吉家具の方はこれからも作り続けていくつもりです。

その上で、今後は新たな家具づくりだけでなく、これまでの作品や貴重な木材をどのようにして後世へ残していくか考えなければいけません。

山上/貴重な文化財を残したいという想いはありながらも、後継者の育成やご購入いただけるお客様へのアプローチも含めて課題は山積みなんですよね。

人間国宝・中川  清司先生の系譜を継ぐ作品だからこそ、その価値をしっかりと価格に反映してお客様に届けたいと思っていますし、貴重な銘木を扱える職人や保管場所を探すことも今後必要になってくるでしょう。

山上/でも、それ以上に職人として次の世代へと伝えていきたいのが私が大事にしてきた「木心(きごころ)」という考え方です。

よく“神は細部に宿る”なんて言いますけど、私も家具や工芸品を作る時には木の心を実際に受け取るようなつもり木材と向かい合い、細かな部分にまで想いが詰まった最高の仕事をしようと心がけてきました。

山上/木工の世界において、木と職人の出会いは一期一会ですからね。

だからこそ目の前の仕事に決して慣れることなく、世界に一本しかない木の心をこれからもしっかりと汲み取りながら、いつまでも使っていただけるような家具を作り続けていきたいと思います。

--山上さん、ありがとうございました!

山上/うちの倉庫にはまだまだ沢山の木工品が眠っているので、ぜひ高橋酒造さんで飾っていただけると嬉しいんですけどね(笑)。

人吉家具と球磨焼酎。お互いこの地で100年以上の歴史を作ってきた文化なので、これからも切磋琢磨して頑張っていきましょう。


この記事が参加している募集