人口1400万の大都会から家業を継ぐため故郷へ帰ってきた4代目の物語。“菓子づくり”と“街づくり”で描く、地元・人吉球磨の未来像とは
近年、日本で社会問題化している中小企業の後継者不足。
ここ数年で数値自体は改善してきたものの、中身を見るとM&Aなど親族以外が事業を引き継ぐスタイルが主流になってきています。
そうした大きな流れの中で、家業を継ぐために大都会・東京から実家の製菓店へと帰ってきたのが今回の主役・庄籠 あずきさんです。
熊本県の湯前町で戦後間もなく創業し、80年以上ものあいだ地元の人たちに愛されてきた庄籠(しょうごもり)製菓舗。
名物のおっぱい饅頭や奥くま巻きなど、菓子づくりの基本と斬新なアイデアを融合させた商品でお客様を楽しませながら、普段遣いから贈答品まで地域のニーズに幅広く応え続けてきた老舗です。
高校卒業後、そんな伝統ある実家を出て様々な都市を渡り歩きながらパティシエや飲食業のキャリアを築いてきたあずきさん。
各地で巡り合った個性豊かな人々とのやり取りを通じて、自らの仕事観や生まれ育った地元への想いを密かに温め続けてきました。
1400万人が暮らす東京から人口4000人近くの湯前町に帰ってきた決断の背景には一体どんな物語があったのか。
今回はあずきさんの歩みや挑戦にスポットを当てながら、地方における事業承継のかたちに迫っていきたいと思います。
「町のお菓子屋さん」に生まれて
--お菓子屋さんの娘で名前が“あずき”というのは、とても素敵ですよね
あずき/ありがとうございます(笑)。
庄籠製菓舗は私の曾祖父にあたる初代が創業して、祖父が洋菓子、父が和菓子をメインに作り続けてきました。そんな一家に生まれた私たち兄妹3人の名前もお菓子にちなんで付けられているんです。
中でも私はおじいちゃん子だったので、その影響を受けてパティシエになるために神戸の製菓専門学校に進学しました。京都で和菓子の修行を重ねた父の背中を無意識に追いかけていたのかもしれませんね。
あずき/卒業後は、関西でパティシエとして働き始めました。
毎日一心不乱にスイーツをつくる中で気付いたのは、やっぱり自分はお菓子づくりが大好きだということ。そして、私はどれだけ頑張っても本物の職人の域には到達出来ないだろうということです。
美味しいお菓子をつくることに人生をかける職人って、気迫が違うんです。小さい頃から全身全霊で取り組む祖父や父を見てきたからこそ、自分は本当にこの道を進んで良いのかと迷うようになってきて。
あずき/そんな悩みを先輩に相談した時に紹介してもらったのが、全国でカフェを展開するCAFE COMPANYで活躍していた女性でした。
あずき/もう、会った瞬間に圧倒されましたよね。
自らのアイデアを形にする力や主体的に働きながら社会を変えていこうとする姿に感動してしまって。スイーツを含めた空間全体でお客様に感動していただけるカフェの可能性に惹かれて、そのまま転職しました。
あずき/入社してからは、もう怒涛の日々です(笑)。
最初に任されたのが10年ぶりに移転する「伊右衛門サロンアトリエ京都」の新規立ち上げで、ここで飲食業の流れや難しさを身をもって知りました。
あずき/また、その後に派遣されたラゾーナ川崎の新店舗ではアルバイトへのオペレーション指導や売上管理に取り組みながら飲食店経営に必要なスキルを少しずつ身につけていったんです。
あずき/そんな充実とした仕事内容とは裏腹に、当時の自分は周りを見る余裕すら無くなるほど忙しい日々を送っていました。
雑誌で見るような東京ライフに憧れて上京したはずが、現実は毎日疲れ果てて家と職場を往復するだけの日々。気力と体力の限界を感じてきていたので一旦立ち上げの仕事から身を引こうと決めたんです。
日本橋で学んだ、理想の地域像
--そのまま実家に帰ってこられたんですか?
あずき/帰ろうって思ってたんですけどね。いいご縁に恵まれて、あるホットサンド専門店で店長として働くことになったんです。
そこは日本橋の再開発で取り壊しが決まったビルを2年間限定で活用する三井不動産のプロジェクトから生まれたお店で、募集を見つけた瞬間に面白そうだと思ったのですぐにジョインしました。
あずき/東京での仕事に心残りが無いわけじゃなかったし、最後にここで2年だけ頑張って実家に帰ろうと決意したんですよ。
メニュー作りから内装や施工、そしてお店のコンセプト設計まで。店長として様々な分野のプロの方たちと仕事をする中で、これまでにない成長感と自分が店を作っているという充実感を得られるようになりました。
あずき/あと、日本橋という土地がとても魅力的だったんですよね。
歴史ある街なんですけど、何百年と続く老舗の人たちが若い世代に優しくてとてもフランクなんです。新しいものは積極的に取り入れて、みんなでいい街を作っていこうとする“懐の深さ”があるというか。
山本海苔店さんやお出汁のにんべんさんのような老舗企業ともコラボしましたけど、常に伝統をアップデートしようとする姿勢には感服しました。伝統を守りながらも、進化することに前向きな人ばかりでしたから。
あずき/結局プロジェクト期間が延長されて2年半働きましたけど、この時の経験が自分にとってかけがえのない財産になってます。
一つひとつのお店が自分たちだけはなくて、街全体がWin-Winになるような視点を持っている。だからこそ自然と気持ちいい声掛けが街に飛び交っているし、その結果一つの共同体として強くなっていくんですよね。
あずき/それまでは実家に帰ってお菓子をつくるという意識が強かった中で、この経験を活かして地元全体を元気にしたいと思うようになりました。
ただ面白いだけじゃなくて、コミュニティがつながるからこそ生まれる盛り上がりを仕掛けられたらいいなって。そんな視点を持ちながら、いまも試行錯誤を繰り返しています。
家業でつなぐ、人のつながり
--ご実家では普段どんなお仕事をされているんですか?
あずき/お菓子づくりの手伝い、接客などの対面業務、新しい分野ではInstagramなどのSNSやオンラインストアの運営もしています。
家業は親子で揉めるなんて話も聞きますけど、うちの場合は家族全員が同じ方向を見て良好な関係を築けてるんじゃないですかね。
代表である父は菓子職人としても超一流だと思っていますし、何か面白いことを仕掛けたいという挑戦的な部分とこのままではダメだという健全な危機感が同居していて経営者としても尊敬しています。
あずき/最近は地元企業と地域の食材を使ったコラボ企画やポップアップストアの運営など、これまでに無かった試みにも取り組み始めたんですよ。
こうした挑戦も、両親と私が「この地域を盛り上げたい」という同じベクトルで会話しているからこそ実現出来ていると思うんです。
あずき/あと、家業以外の面白い取り組みとしては地元の有志たちと「球磨川盆祭」という企画を立ち上げ始めました。
人吉球磨で30年ぶりに開催される盆踊り。この祭りを実現できれば子供からお年寄りまでみんなの集まる場ができて、自然と若い人たちが活躍する場も生まれると信じています。
あずき/自分の人生を振り返った時、いつだって大きな変化を生んでくれたのは「人との出会い」だった気がするんですよね。
これまで私は貴重な人との縁を受け取ってきた側だったので、これからはそんな出会いを地元で一つでも多く増やす役割を担いたいって考えてます。東京で学んだコミュニティの作り方を、いまこそ活かしたいなって。
あずき/高校を卒業して家を出るまでは地元には何もないって思い込んでいましたが、帰ってからはそこがとても魅力的に映っているんです。
この人吉球磨という真っ白なキャンパスに人との出会いという絵の具を垂らして一枚の絵を描いていくこと。それこそが今の私に求められているミッションのような気がして、常にワクワクしている自分がいますから。
未来は自分たちで変えていく
--最後は今後の抱負について教えてください
あずき/これまで話してきたように、今後も色々な人たちと繋がりながら家業や地元の可能性を積極的に引き出していきたいですね。
でも、やっぱり最初の一歩を踏み出すのはあくまで自分自身だと思うから、しろのボトルには「チャンスは自分でつかむ」って書きました。
あずき/地方創生って堅苦しく考えず、私を含めたみんなが最初の一人になって主体的に大きな渦を作りながら周りを巻き込んでいく。
そんな活き活きとしたプロセスを実現できれば、勝手に地域は盛り上がる気がするんです。実家の仕事にまっすぐに取り組みながらも、そんな熱を地域に発信したいという想いだけは忘れないようにしたいです。
--あずきさん、今回はありがとうございました!
あずき/うちのお菓子はどれも美味しいですけど、その中でも私が全国に通用すると思っているのが父が作る「塩豆大福」です。
あんこの味わいが上品で白岳しろとの相性も抜群ですから、お店に来る機会があったらぜひ手にとって見てください!
うちはみんな昔から米焼酎が大好きなので、これからも白岳さんと一緒に人吉球磨を盛り上げられることを楽しみにしています。