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日本一のタウン誌にも輝いた、人吉球磨月刊情報誌「どぅぎゃん」。名物・有地編集長に創刊からの軌跡と企画を生みつづける心構えを聞いた

今から23年も前のことです。

あるひとりの女性が、地元で一冊の雑誌を立ち上げました。

人吉球磨月刊情報誌「どぅぎゃん」

地域の人びと、グルメ、イベント、コラム…

人吉球磨のありとあらゆる情報を発信してきた地域特化型マガジンで、2015年には読者が選ぶ日本タウン誌・フリーペーパー大賞を受賞するなど、地元で知らない人はいないほどのメジャー誌です。

どぅぎゃんの売りは、その企画の豊かさ

地元の人たちが主役のライフイベントから…

温泉と家族をテーマにしたSPA×FAMILY(スパファミリー)なる独特のセンスが光るものまで

字体もどこかで見たような…

人間と出来事、歴史と流行、直球と変化球

毎回驚くほど豊富な切り口で人吉球磨の魅力を発見し、20年以上地域に記事を届け続けてきたどぅぎゃんの立役者が、編集長・有地 永遠子さんです。

PROFILE 有地  永遠子(ありち  とわこ)
ぷらんどぅデザイン工房 代表/2000年に人吉球磨月刊情報誌『どぅぎゃん』を創刊し、独自の企画と誌面で地域を盛り上げ続けてきた名物編集長

編集長として毎号の企画出しはもちろん、取材・執筆・編集・営業まで、どぅぎゃんに関わる全ての業務に従事する有地さん。

いまでも面白い企画を閃くたびに現場の最前線に赴き、そこにある物語を一つずつ紡いで誌面を作り続けています。

今回は、日々企画を考え文章を書くnote担当として、どぅぎゃんが歩んできた道のりといい企画をつくるための心構えを大先輩・有地編集長に伺っていくことにしました。

「どぅぎゃん」が生まれた背景

--まずは“どぅぎゃん”創刊のきっかけについて教えてください

有地/強いていうなら、生きていくためですよね。

山口の芸術大学を卒業して九州でずっとデザインの仕事をしてきたんですけど、色々あって地元・人吉に帰ることになったんですよ。ただ、いざ戻ってみたら当時の人吉球磨にはデザインの仕事がほとんどありませんでした。

そんな中、なんとか食べていくために立ち上げたのがこの会社です。どぅぎゃんのイメージが強いですけど、実はうちってデザイン会社なんです。

自社デザインのキャラクター「クマリーヌ」

有地/始めた頃は、なかなか大変でしたね。

当時はデザインって印刷屋さんや看板屋さんがするものでしたから、営業に行っても「デザイン?何それ?」って感じでほとんど門前払い。逆に提案したデザインが勝手に看板になってたり、もう無茶苦茶でしたよ(笑)。

でも、創業2年目に熊本で国体が開催されてから流れが変わって。当時はデザイン会社として名乗っていたのがうちくらいで、あらゆるポスターや印刷物の注文が次々と舞い込むようになったんです。

有地/まあ、程なくしてその特需にも終わりが来るんですけど、面白いものでその時にできたつながりはしっかりと残ってたんですよ。

当時ライターをしていた地元新聞の部長や仕事先でお会いした一癖も二癖もある地域の人たち。こんなに豊富な素材が人吉球磨にあるなら、面白い雑誌が作れるんじゃないかと思ってどぅぎゃんを立ち上げました。

これが創刊号なんですけど、最初だったから地域に住んでいる人たちの顔写真をいっぱい載せてみたら、これがすごく好評で。

貴重などぅぎゃん創刊号

有地/小さな地域だし、自分の知った顔が載ってると嬉しいじゃないですか。

自分たちの町や村が大好きな人が人吉球磨には多いから、地元に密着し続けたことで少しずつ読者の方々もついてきてくれたのかもしれません。

ちなみに、地域の人たちにスポットを当てて企画をつくるのは創刊から大切にしているポイントですね。同じような企画も多いからマンネリって言う人もいますけど、私はマンネリもいいなって思ってます。

オフィスに飾られたバックナンバー

有地/そこにいる人たちは確実に移り変わってますし、なによりそんな日常の変化を伝えていくのがどぅぎゃんのあり方ですから。

これからも素敵な笑顔が溢れる誌面をつくっていくつもりですよ。相変わらず、大変ですけどね。

有地編集長の企画術とは

--どうしたら、そんなにユニークな企画を考え続けられるんですか

有地/企画会議も「今やろう!」というタイミングで開きます。特に次号予告を考えている時が多いですね。

タイトルが秀逸な「ポツンと1店舗」

会いたい人、食べたいもの、挑戦したいこと

その時の私たちのアンテナに引っかかれば、予定を変えてでも取材に飛んでいくようにしてます。面白いネタを捻り出すんじゃなく、自分がやりたい事を誌面で実現するというのがどぅぎゃんのスタンスですから(笑)。

球磨焼酎好きの有地さんがMCを務める
YouTubeラジオ「水曜日のマダム珍」

有地/あと、どぅぎゃんで地域のお祭りや大会を取材する時も、編集部全員でイベントに参加して全力で勝ちに行くようにしてます。

地域の運動会やカラオケ大会。出場できるイベントは編集部でことさら荒らしてきましたから。そこで地元の人と汗を流しながら本気で戦って、健闘を讃えあった熱い内容を記事にしていくんです。

そうすると記事に自然と臨場感が生まれて、読者にも響くんですよ。こんな地域と一体化した記事づくりが、どぅぎゃんの良さなんでしょうね。

イベントに参加するどぅぎゃん編集部

有地/いい記事を書くために一生懸命になってるというより、一生懸命楽しんでるからこそいい記事が書けてるって感覚ですよね。

ああだこうだ考える前に、まずは自分たちが楽しんでみる。読む人が感動したり共感したりする企画を作ろうとしたら、まず自分の心を震わすことが必要だと思ってますから。

どぅぎゃんをここまで続けられたのも純粋に楽しいからですし、楽しくないとこんな大変なことなかなか続けられませんよ(笑)。

有地/よくどうやってアイデアを出してるんですか?って聞かれますけど、私は反省しちゃうくらい自分のしたいことしか取り組んでこなかったから、結果としてそれが地域のみなさんに受け入れられたんでしょうね。

最初の読者は自分なんだから、その自分が心から面白がれるものだったら、きっとそれは読む人にとっても良い企画なんですよ。

地域に寄り添い続ける存在として

--いまや人吉球磨でどぅぎゃんを知らない人はほとんどいませんよね

有地/おかげさまでというか、ありがたいですよね。

創刊当時は「3年くらい続けばいいか」なんて思ってましたけど、あれよあれよと言う間に5年くらい続いて。その頃になると、既に人吉球磨では知らない人がいないくらいの雑誌になってましたから。

この辺りから雑誌という枠を超えて、どぅぎゃんに地域の一員として果たすべき責任みたいなものが生まれていると感じるようになりました。

有地/これからもどぅぎゃんは人吉球磨に並走していきたいんですよ。リードするんじゃなくて、並走。同じペースで歩んでいきたいんです。

ここから地域がどう変わっていくかなんて誰にもわからないですよね。大きな発展を遂げるかもしれないし、少しずつ衰退するかもしれない。でも、どっちに転んでもそれがありのままの人吉球磨だと思います。

だとしたら、その姿をそのまま伝えていくことがどぅぎゃんの役割なんじゃないかって最近考えるようになりました。ただそこにある街や人を発信していく。そんな視点は忘れないようにしたいって。

水害直後に発行した2020年9月号

有地/大きな反響があった令和2年7月豪雨の誌面も、気負って取材に行ったわけじゃなくて、この土地で共に生きてきた人たちが純粋に心配で居ても立っても居られなくなって現場に向かいました。

この街の人たちがいたからこそ、どぅぎゃんがあるんです。その人たちが苦しんでると思ったら、もう体が勝手に動いてましたね。

水害の話はもういいんじゃないっていう人もいますけど、そうはいきません。あの水害から街がどう変わろうとしているかを伝えるのは私たちの使命ですし、私たち自身が何年先も届けていきたいんです。

水害から2年後の特集記事

有地/どぅぎゃんって、球磨地方の方言でこの頃どう?って意味なんですよ。

そんな風に取材とか企画って意気込み過ぎるんじゃなく、街の人たちに最近どう?面白いことあった?って世間話するように誌面をつくり続けていけたら良いですよね。

なんか、そんなゆったりしたスタイルがどぅぎゃんっぽい気がします。

--有地さん、最後にしろのラベルにメッセージをお願いします!

有地/えー、いきなりだと迷いますね。あ、待ってください!降りてきました。

最近しみじみと感じている事があるので、そのフレーズを書きますね。

有地/毎日目が回るくらい忙しくて、大変なので誰か優しくしてほしい笑。

有地/ということでこれです。みんな私に“もっと優しくしろ”って書いてみました。

企画も記事も営業も編集も全部やってるんですもん。これくらいは言ってもいいかなって(笑)。

有地/白岳さんは創刊号にも広告を出してくださった大事な大事なお客様なので、今後も広告のご出稿お待ちしてます!

これからもどぅぎゃんは人吉球磨に密着していい雑誌を作っていくので、引き続き応援よろしくお願いいたします。